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2013年3月24日 (日)

この一週間(3/18-3/24)

◆世間では:
・サイバー攻撃:他人ごとではないです。気をつけましょう。

◆個人的には:
・「無主風」・・・以下の紹介した「反教育論」でこの言葉を初めて知った時、恐怖すら感じた。何と恐ろしい言葉なのだろう。。。

○主な出来事:
・3/24(日) ノルディック・ウォーキング体験会(大阪・中之島)
http://nordic-walk.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/324-fef5.html

○本:「反教育論」泉谷閑示著(講談社現代新書)
♪「『普通がいい』という病」の著者の本です。♪
・懐疑的精神は人間的思考の根本を成す大切な要素である。これは、そもそも人間というものが、その歴史の始まりから「反抗」とは切っても切れない由来を持つ存在だからである。
たとえば「好き・嫌いなく何でもよく食べる子供に育てましょう」といったスローガンは学校などでかなりおなじみのものであるが・・・このような考え方の根本には、「好き・嫌いがあるのは良くないことである」という価値観が横たわっている。この価値観が、直接的にではないにしろ、「自分が何がしたいのかわからない」という人間を生み出す精神的土壌になっている。
・およそ道徳というものは、本来は「~したい」と「心」から自発的に生ずるはずのものを「~すべき」と「頭」の理性で強制するという点で、根本的な過ちを犯してしまっている。これは単に無意味であるだけではなく、それを自然に「~したい」と思えない場合には、本人の内面に強い自己否定を生じさせるという有害性がある。
・「いじめ」というものも、ムラ的共同体において異分子を排除したり同化させたりする集団維持行動がその由来であり、いくら倫理的に「いじめ」を問題視して議論しても、このムラ的メンタリティを温存したままでは、根絶できようはずはない。「ムラ的共同体」のメンタリティを「集団行動のスキル」として「教育」しておきながら「いじめ」だけを止めなさいというのは、どう考えても原理的に無理なことなのだ。
・右も左もわからぬ幼いうちから子供を「調教」的に教育することは、技能習得だけを考えれば効率的に思えるかもしれないが本人の中から自然に生まれるはずの好奇心や主体性の芽が摘まれてしまい、のちにどんなに技能が向上しても、質的には主体性の欠如したものになってしまう危険性が高い。・・・世阿弥は『至花道』という別の秘伝書で、そのように主体性のない芸を「無主風」と呼び、そのようなものは決して観客に感動を与えられる生きた芸ではないとして厳しく戒めている。つまり、早期に「調教」を始めてしまう最大の危険は、どんなにそれが本人の意思にかなった道であったとしても、結果的には「無主風」なもの、すなわち一種の起用なサル芝居しか生み出さないところにある。
・人は成長していく過程で、「自分の世界」を作っていかなければならない。・・・しかし、「自分の世界」を子供が作っていくためには、「嘘」をついたり「秘密」を持ったりすることが不可欠で、親や教師はある程度それを容認しなければならない。
・人間は「意味」を求め、「意味」なしには生きられない存在である。いくら物質的・経済的に恵まれていて、社会的地位があって家族等の人間関係に恵まれていても、「生きる意味」が感じられないと生き続けることができない。しかし、苦悩から人々が脱するのもまた、「意味」の回復に依っている。

○これから一週間の予定:
・3/31(日) ノルディック・ウォーキング体験会(大阪・中之島)
http://www.nordic-walk.or.jp/schedule/workshop.aspx#kinki_hokuriku

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