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2014年1月28日 (火)

「日本国憲法」の前文を読んで素直に感じていること

私はもちろん憲法学者ではないし、憲法について深く学んだこともない。
そんな私が、「日本国憲法」の前文を読んで素直に感じていること、それは憲法の解釈としては誤りなのかもしれないが、愛国心を有する日本国民としては誤った捉え方ではないと信じる。

◆「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここで、「平和を愛する諸国民」とは、「諸国民は全て平和を愛する故に、全ての諸国民の公正と信義を信頼する」のではなく、「玉石混交の諸国民の中で、平和を愛する諸国民に対しては、その公正と信義を信頼する」という意味の捉えられないのだろうか?
すなわち、到底平和を愛しているとは思えない国の諸国民に対しては、当然のことながらその公正と信義を信頼することなどできる訳がない。そのことを明確にすべきであると思う。

◆「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
ここでも、「・・・努めてゐる国際社会」とは、「国際社会が全て努めている」ことが前提なのではなく、「努めてゐる国際社会」と「努めてゐない国際社会」がある中で、われらが名誉ある地位を占めたいと思ふのは、当然のことながら前者の国際社会であり、後者の国際社会とは一線を画す覚悟を有するべきであろうと思う。

◆「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
ここで言う「全世界の国民」とは、前出の「努めてゐる国際社会」における「全世界の国民」に限定すべきであり、「努めてゐない国際社会」の「全世界の国民」にまで「権利を有することを確認する」必要はないと捉える。

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