無料ブログはココログ
フォト

« 2017年の1月 | トップページ | この一週間(2/6~2/12) »

2017年2月 5日 (日)

この一週間(1/30~2/5)

◆世間では:
マティス米国防長官来日:いよいよ我が国も本当に目を覚まさなければなりません。

◆個人的には:
・万年筆が欲しいです。買うなら、ペリカンの緑縞スーベレーンM400(中字)かな?でも年賀状以外で使う機会あるか?

○主な出来事:
・特になしです

○本:「仕事なんか生きがいにするな」泉谷閑示 著(幻冬舎新書)
・「現代人は、何事も何か外の目的のためになすべきで、それ自体のためになすべきでないと考えている。」(バートランド・ラッセル)・・・『それから』の代助が反発していたのは、このように「働くこと」を「食う為」という他の目的の方便として捉える不純さだったのです。・・・代助は「働くこと」が、それ自体を目的とした純粋な行為であってほしかったのです。
・本来は人間的な手応えを得られるはずの「仕事」というものが、いつの間にやら「労働」というものに吸収合併され、すっかり変質してしまった・・・古来は最も価値あることとされていた静かな「観照生活」の意味はすっかり忘れ去られて、単に怠惰で非生産的なものとしてしか捉えられなくなってしまった・・・「働くこと」を奴隷的で非人間的なものにしてしまった。
・フランクルは、「生きる意味」を求めるという「意味への意志」こそが本質的なベクトルなのであって、「意味」の副産物である「快楽」や、「意味」を得るための方便に過ぎない「権力」を目標と考えることは、本筋ではないとして、フロイトやアドラーの主張に異を唱えている。
・人が生きる「意味」を感じられるのは、決して「価値」あることをなすことによってではなく、「心=身体」が様々なことを「味わい」、喜ぶことによって実現されるのです。
・「自分は何がしたいのか?」といった問いに悩まされる人は、今日、決して少なくありません。彼らの中で「自由」とは、ひとたび獲得してみれば、かつて「不自由」だった頃に夢見ていたようなパラダイスなどではなく、一種の牢獄のようなものにさえ感じられるのです。
・「人は藝術品であるか、または藝術品を身につけるかすべきである。」(オスカー・ワイルド)・・・芸術というものは、多くの人が思い違いしているような、有っても無くてもよいような代物ではありません。人間の魂にとって、なくてはならないものなのです。・・・芸術とは人間であるために「不可欠なもの」であって、決して「余剰として」身にまとうような贅沢品ではないのです。
・「味わう」ところまでは「心=身体」が行うけれども、「意味」を感じるとなると、どうしても「頭」との協働が必要になってくる・・・「頭」と「心=身体」が対立せずに、互いが相乗的に喜び合っている状態。これを、私たちは「遊び」と呼ぶ。
・私たちが「遊び」から遠ざけられてしまうのは、すべて「頭」の働きによるもの・・・この「頭」の縛りをいかにうまくかわすことができるか・・・「頭」の計画性や合理性を回避するためには、その対極にある「即興」という概念を積極的に用いてみることがとても有効な方法・・・もう一つ大切なこととして、「面倒臭い」と感じることを、むしろ積極的に歓迎してみる。

○これから一週間の予定:
2/11(土・祝) 大阪マスターズ陸上競技連盟 平成29年度通常総会(大阪)

« 2017年の1月 | トップページ | この一週間(2/6~2/12) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: この一週間(1/30~2/5):

« 2017年の1月 | トップページ | この一週間(2/6~2/12) »

最近のトラックバック

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31