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2017年10月15日 (日)

この一週間弱(10/10~10/15)

◆世間では:
衆議院選挙公示:いったい何が争点なのか・・・わかりにくくなっている点で与党の勝ちなのか?
【東京六大学野球】法大、昨日勝って追い越されてしまった。。。

◆個人的には:
阪神、昨日は勝ったが今日は負け・・・こんなことに気を使わなくてもいいのにと思いつつ。。。

○主な出来事:
10/12() MCEI大阪支部 201710月度 定例会(大阪)
10/13() 枚方体育協会ノルディック・ウォーク講座(大阪・枚方)
10/14() 66回大阪マスターズ記録会兼2017府民スポレク(大阪・ヤンマーフィールド長居)(審判)

○本:「私とは何か」上田閑照著(岩波新書)
・「私から出て、私に還る」運動が「私」ということだと言える。(ここから、「私」から出られない自閉自執と「私」に還ることができない自己喪失という実在の病が予想される。)
・「私は私である」は、「私」に閉じるあり方でもあり、「私」が開かれるあり方でもある。「私は私であると言いつつ「私」に閉じた「私」を「自我」、・・・「私」が開かれた「私」を「自己」と呼ぶ。
・「どうしようもない私が歩いている」(種田山頭火)・・・「私にあっては、歩くことが行ずることに外ならない」と山頭火は言う。・・・「私」は偉大であるを要しない。「私」は「私」であればよい。
・「咳をしても一人」(尾崎放哉)・・・山頭火は歩き、放哉は籠もる。山頭火の句境を「行脚」とすれば、放哉の句境は「参籠」と言えるであろう。・・・それぞれのあり方で、「私は、私ならずして、私である」の「私ならずして」の切実がある。
・デカルトは第一原理として「コギト・エルゴ・スム」を確立確認したうえで、それに基づいて神の存在および世界(外界の意味での)の存在を証明してゆく。・・・デカルトの「コギト」は「我あり」だけではなく、神の存在をも証明し得るものとして「コギト」なのである。
・ブーバーにおける根本思想の原点は、「人間存在の原本的事実は人間と共にある人間」ということであった。・・・ブーバーは人間存在の原範疇として「間」(das Zwischen)という基本語を提出する。
・挨拶の形式は、人間どうしが出会うということの自己理解を表現し遂行する仕方である。
・人間主体は自覚的存在であり、自覚において主体は二重に照らし出される。すなわち、現にある自分と、あるべき自分と。・・・いわゆる現実の自分だけが自分なのではない。現実の自分と、「あるべきである」自分との関わりそのものが自分なのである。
・自覚と言うとき、そこには単に「我が我を知る」というだけでなく、「我」のあり方の質が同時にこめられていると言ってよい。

○これから一週間の予定:
10/21() ノルディック・ウォーキング体験会(大阪・枚方)
http://kansainordicwellness.web.fc2.com/
10/22() ひらかた健康・医療・福祉フェスティバル(ノルディック・ウォーキング体験)(大阪・枚方)

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