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2018年3月17日 (土)

「足のはこびやうの事」(宮本武蔵「五輪書」水之巻)に関する考察

今年(2018年)の大阪マスターズ陸上競技連盟の通常総会の後の講演会で、村上充先生の「自然で楽しくなる走法 怪我せず100歳まで走ろう」を聞かせていただきました。

その中には

「今までの常識を変える!? 「腕をしっかり前後に振る」…×です、「母指球で強くキックする」…×です、「あごを引いて走る」…×です」

があり、私が「意識してはいけない」と言っている6つのことの中の3つまでが共通していて、大先生を前に恐縮ではありますが、とても親近感を抱かせていただきました。

共通していることのひとつの

「「大きく腕を振る」ことを意識してはいけない」

ことについての私の考えを先月ブログ等にアップし、その内容を村上先生にお送りしたところ、高岡英夫氏の「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」を読むことを勧められました。そして、高岡氏の本を読ませていただいた結果、以下の内容を考察する機会を得ました。

 

村上先生から高岡氏の本を勧められたのは、

「足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、きびすを強くふむべし」(宮本武蔵「五輪書」水之巻 第五節 足づかいの事)

についての私の考え(後述)を示したことに対してなのですが、私が五輪書のこの部分に興味を抱いたのは、「常歩研究会」の小田伸午先生(関西大学教授)や木寺英史先生(九州共立大学教授)の影響を受けてのことです。

その「常歩」(ここでは「中心軸動作ではない、所謂なんばと言われる二軸動作」とだけ示しておきます)の動きの特徴のひとつが「踵(きびす)を踏む」ことであり、「つま先(拇指球)で地面を蹴るのではなく、踵を地面に残す」ことが、前に進むための効果的な動作であることから、興味を抱いた次第です。

 

ただし、「常歩研究会」では「つまさきを少しうけて」を支持脚の「つま先を少し浮かせて」と解釈していたのですが(高岡氏も同様)、私の感覚では、支持脚(踵を踏む側の脚)のつま先(MTP関節:中足趾節間関節)は、離地直前までは屈曲⇒離地時に伸展であると捉えていたことから、「つま先荷重を少し受けて」と解釈していました。

 

この度、高岡氏の「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」を読む機会を得て、「足づかいの事」について考え直してみたことで、以下の点を改めて疑問に感じました。

・「足のはこびやうの事」と言っているのに、片方の脚の記述だけということは不自然ではないか?

・高岡氏は「重要なのは軸足(前後の記述から支持脚)」と言っているが、本当に重要なのは支持脚の方なのだろうか?

・「常歩研究会」では「支持脚ではなく、遊脚が軸足」が重要だとしているのに、どうして支持脚の記述だけで納得しているのか?

 

そして、結論として、「足のはこびやうの事、つまさきを少しうけてきびすを強くふむべし」を私なりに以下の内容で解釈するに至りました。

①「足のはこびやうの事」⇒主に「両脚支持期→単脚支持期」における歩行動作の解説

②「つまさきを少しうけて」⇒「両脚支持期→単脚支持期」の瞬間において離地する遊脚に対する心得

③「きびすを強くふむべし」⇒「両脚支持期→単脚支持期」の瞬間において地面に残る支持脚に対する心得

 

以下、②③について説明します。

まず、②「つまさきを少しうけて」について。現代語は「つま先を少し浮かせて」であり、これまで「常歩研究会」や高岡氏の説明と変わらないのですが(その意味では私の「つま先荷重を少し受けて」は間違っていたと認めざるを得ないのですが)、「踵を強く踏む」側の脚(=支持脚として残る脚)ではなく、離地して遊脚となる脚に対しての心得の記述だと私は解釈しました。

この「離地して遊脚となる脚」は、足関節がやや背屈した状態で、MTP関節は、先述したように、離地直前まで屈曲しているのが私の感覚です。

そして、このMTP関節を屈曲→伸展とすることで、「つま先を少し浮く」状態となります。この少し浮いたことが引き金となって、膝が抜け、腰が抜け、足が地面から少しだけ離れて、重力で前に振り出されると私は解釈しました。

ここで、足が地面から離れるのは「少しだけ」であることから、武蔵が「嫌ふ足」としている三つの足のひとつである「浮足」にはならないものと捉えています。

ただし、膝と腰が続いて抜けるためには、腰及び下肢部が脱力している(ゆるんでいる)必要があり、この点は高岡氏と同様の感覚だと感じています。

 

このように、「つま先を少しうきて」は遊脚の作り方であるというのが私の解釈です。

そして、両脚支持期から単脚支持期への移行に際しては、単脚支持期に支持脚として残る側の脚よりも、離地して遊脚になる側の脚の方が「引き金」として機能していることから、より重要であることを改めて認識する必要があると考えます。

この点、「支持脚ではなく、遊脚が軸足」を重要なポイントとしている「常歩研究会」と、同様の感覚だと感じています(と言うより、そもそも私の感覚が「常歩研究会」の影響を強く受けているのですが・・・)。

ちなみに、遊脚は英語ではswing leg(又はfree leg)ですが、上記したように重力を利用して前に振り出されるのであれば、swung legの方が感覚的にしっくりくるように感じています。

 

次に③「きびすを強くふむべし」について。この部分はこれまで特に違和感なく「つま先(拇指球)で地面を蹴るのではなく、踵を地面に残す」ことと捉えていたのですが、この機会に見直してみると、「きびすを」踏むと言っているのであって、「きびすで」踏むとは言っていないことに改めて気づきました。(この部分、現代語を基準として考察するしかないのですが・・・)

すなわち、踵が地面を踏むとも、踵で地面を踏むとも言っていない以上、「きびす」は目的語=対象であって、主体でも手段でもないと捉えるべきでしょう。

では、何が(or何で)踵を踏むと捉えるのが適切でしょうか?

可能性としては、「膝」「尻」「腰」「肚(腹)」などが候補となると思いますが、私の感覚では(「踏む」踵と同側の)「尻」が適切であるように捉えています。(「腰」でも同様かもしれません)

「膝」で踵を地面に押さえつけようとすると、腰が後に残ってしまう感じがしてしまいます(私のスキル不足かもしれません)。

また、「肚(腹)」は尻や腰のように大きな円を描いた運動ができないので、動きが小さくなってしまうように感じています。

一方で、「尻」で踵を踏む(正確に言えば、踏むことを意識する)ことによって、支持脚側の腰が前方にスムーズにスライドすることが可能となるように感じています。

その結果、「つま先を少し浮かせ」たことが引き金となって前に出始めた遊脚とともに、踵を踏むことでアクセルをかけて、全身を前方に素早く進めることができるものと捉えています。

ちなみに、武蔵は「強く」踏むべしと言っていますが、「強く」というのは、力を込めるのではなく、「強く」意識するということだと捉えています。

「尻(腰)」が大きく踵を押さえつけるためには、腰及び下肢部が脱力している(ゆるんでいる)必要があり、この点においても高岡氏と同様の感覚だと感じています。

 

このように、「きびすを強くふむべし」は支持脚の意識の仕方であるというのが私の解釈です。

離地して遊脚になる側の脚とともに、支持脚として残る側の脚も意識する。

このことによって、両脚支持期から単脚支持期への移行が速やかとなり、全身を前方に素早く進めることができ、気配を察せられずに、相手に切り込むことなどが可能となるものと推測します。

 

以上、「足のはこびやうの事」は、主に「両脚支持期→単脚支持期」における歩行動作を解説したものと捉えていますが、武蔵は同じ「足づかいの事」で「足づかいは・・・常にあゆむが如し」あるいは「片足ばかり動かさぬ物なり」と書いていることからも、歩行動作として、上記したことを意識することが大切だと私は解釈しています。

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