「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」読後感
『「足のはこびやうの事」(宮本武蔵「五輪書」水之巻)に関する考察』でも触れた「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」 高岡英夫著(講談社) を読んで感じたことをまとめました。 (⇒から後が私の感想です)
・「うらやかに見ゆる顔」(高岡氏は「かを」と書いているが、実際には「かほ(顔)」)・・・武蔵はうらやかに見える顔で、戦闘し人を斬っていたのです。
⇒私の場合(私だけではありませんが)、戦闘で人を斬ることはありませんが、どのようなレースにおいても、「うらやかに見える顔」で臨むことの重要性を認識できたことが、今回本書によって「五輪書」を読み直したことによって、得られた最大の収穫であったように感じています。
・「ひざより足先まで力を入れて」・・・弓道の「離れ」の前提状態と同じ状態のこと・・・いざというときはブレーキを解放し一気に動き出す。
⇒「つまさきを少しうけて」(MTP関節(中足趾節間関節)を屈曲→伸展として)の前段階として、膝で足先を押さえつけること(足先のMTP関節が屈曲している状態)の記述として「ひざより足先まで力を入れて」があることにこれまで気が付きませんでした。
この二箇所を合わせて解釈することにより、「つまさきを少しうけて」が「両脚支持期→単脚支持期」の瞬間において離地する遊脚に対する心得を記述したものである可能性が高まってきたようにも思います。
加えて「ひざより」の記述があることから、離地直前においては、屈曲させたMTP関節を膝で押さえつけておき、離地の瞬間にはMTP関節を伸展させることで、重力の力を借りて、自然と前方に遊脚が振り出されるものと解釈できます。
・相手が一刀、受け手側が二刀ならば、半ば無意識に、左の剣が相手の剣を受け流すようにして下に押さえてしまい、同時に右の剣は相手の頸動脈に入ってしまうというようなことが、我知らず起こってくるのです。
⇒これまで私は二刀流の刀の使い方をよくわかっていなかったのですが、上記のような使い方をするのであれば、何となく「中心軸動作=一刀流、二軸動作=二刀流」のような対比も可能なのではと感じました。
特に、私はこれまで、「歩き方を二つの軸で考える」として、「股関節の回旋方向:内回り型
↔外回り型」をひとつの軸として考えてきました。(ちなみに、もうひとつの軸は「骨盤の回転方向(肩甲骨、肩も同方向に回転):クロール型
↔背泳ぎ型」)
そして、この「内回り型
↔外回り型」というのは、「内回り型=搔き寄せ歩行=中心軸動作=一刀流」「外回り型=掻き分け歩行=二軸動作=二刀流」とも対比可能な歩行のことだと感じた次第です。



・「あゆむ(歩む)がごとし」:ドーンと床を踏み抜くような足づかいでないのは明らか・・・「片足ふむ事有るべからず」:片足だけ動かすことがないように。
⇒この部分は、一般的にも「歩くように」であるとか、(高岡氏も書いているように)「片足だけ動かすことがないように」であるとか解釈されているようですが、そもそも現代の剣道(と私が理解しているもの)は、「歩くように」足を動かす「歩み足」(左右の足を交差させる足さばき)ではなく、「送り足」(右足を踏み出したら左足は右足を追い越さない足さばき)を標準としているように見受けられます。
この部分は、「送り足」(一般的には「片踏み」と言われている足の運び方)ではなく、「歩み足」としなさい、と言っていると思うのですがいかがでしょう?
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